subconscious 潜在意識まとめ

潜在意識、引き寄せの法則、セドナメソッド、108、ザ・チケット、マネーゲームなど

直結のメカニズム

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1910 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2009/05/07(木) 18:14:28 Td9byQ.U0

108さん、画家さん、賢者のみなさん、よろしくお願いします。
過剰ポや手放すについてイマイチわかりません。

「絶対に叶わないとヤダ!絶対に!絶対に!」と毎日のように思い、
頭をキリキリさせてたのにあっさりと願いが叶った事が何度もあります。何故でしょうか?

これは引き寄せ的にいうと願いを強く握り締めすぎて、叶わないパターンのはずではないのですか?
同じように強く思って全く叶わなかった事もいくつもあります。
叶ったときと、叶わなかったときの両者の違いがわかりません。
私からしたら、どちらのときも願望を強く握り締めていたと思います。

また、「別に叶わなくてもいいや。でも叶ったらうれしいかも」と思ってたら、
やっぱり叶わなかった事もあります。叶った事もあります。この場合も両者のときの
自分の心理状態に、特に差があったとは思えません。

「手放す」の方についてはもしかしたら「叶わなかった」ときはうまく手放せてなかったのかもしれません。
でも「過剰ポ」のときはどの場合もそれこそ駄々っ子の如く強く念じてたと思います。
願望の時点では不可能と思えてたことが、全てが奇跡的に展開してあっという間に叶って
自分でもびっくりした事があります。

どちらかというと私の場合は過剰ポでまくりだろうがなんだろうが、強く念じたほうが
願望が成就する確立が高かったような気がします。
こんな私はどのようにアフォすれば良いのかわかりません。
これらの事についてお言葉を頂けたらうれしいです。お願い致します。

 

3344 名前: 108★ :2010/11/16(火) 02:46:11 ???0

こんばんは~。ご無沙汰しました。
すっかり寒くなってきましたが、風邪などひかないようにしましょう。
うがいと手洗いをしっかりやって、栄養と睡眠を充分に摂ることですよ!

>>1910 他
> これは引き寄せ的にいうと願いを強く握り締めすぎて、叶わないパターンのはずではないのですか?

あなたが考えるどんなパターンも、単なる概念化に過ぎない。

「強く握りしめると叶わないであろう」
「握りしめることを止めたから叶うはずだ」

これはあなたの中で概念化された単なるパターンに過ぎません。
つまり、実際の有様とは異なっている。
厳密に言うと、実際の有様を特定方向に当てはめて解釈し、
都合良く定型化していようとしているに過ぎない。

強く握りしめても手放しても叶う。
強く握りしめても手放しても叶わない。

これではあなたにとって法則を類型化することは困難。
再利用できる形でパターン化できないとことになるからです。
しかしこの事実はあるひとつの真理をあなたに示しています。それは、

「実現状態は、あなたが願望を握りしめるか否かに依存していない」

ということです。
何故なら、実現しているのは「あなた」というパーソナルな存在ではないからです。
そこには実現する能力など最初からありません。
それどころか、実現しない能力さえ持ち合わせていません。

敢えて「法則」という観点から考えてみます。
それが法則であるとするなら、あなたが握りしめたり手放したりすることによって、
その度に法則が都合良く変更されているわけではありませんよね。
上手く行ったり行かなかったりするのは、

「そのときあなたが法則に合致している状態かどうか」

という一点だけです。

法則はあなたというパーソナルな存在やものの見方によってねじ曲げられたりしない。
この「法則」を「真理」と置き換えても良い。あなたの立ち居振る舞いによって
なんとでも変わってしまうなら、それは法則とも真理とは言えません。

具体的に行きましょう。
あなたという個人的なサイドに実現能力はない。
それなら願望の実現について、そのパーソナルな能力を頼りにすることは得策ではない。

あなたにとって必要なことは、それを再現できるようにパターン化することではない。
それは構造上、今後もなかなか困難でしょう。

あなたがすべきことは、パターン化という無益な試みでエネルギーを浪費することではなく、
むしろそういった営みから一切手を引くということです。
それが「手放す」ということです。

そこではなんのエネルギーも用いられず、あらゆる意識的・無意識的な抵抗を解除することになる。

最後の質問について具体的に回答すると、
あなたは願望の実現と関係なく、ただ静かに瞑想する習慣を持つと良い。
これが唯一パターン化できる行動です。

ただし瞑想時には、願望実現のためのルーチンワークだという考えは捨てて、
ただ自分の中心を充分に経験するためだという態度で行ってみて。

これを習慣化したら、必要なアファメーションについてもその中心部で聞くようにして。
そしたらピンと来る形で自然に思いついた言葉をアファメーションとして使ってみて下さい。

瞑想を習慣化したら、アファメーションについては特に骨を折る必要はありません。
アファメーションは別にしなくても構いません。
必要なことは、願望を明確にしたら、あなたの中心部に対してリクエストするだけです。
必要なことはこれで全てです。

 

3350 名前: 108★ 投稿日: 2010/11/16(火) 03:03:07 ???0

>>1910さんのレスについて、重要な部分だと思うので、
しつこいようですがさらに補足回答しておきますw

1910さんの問題提起は、非常に意義のあることだったと思います。
同じように感じている方もいるだろうし、私自身も幾度となく同じことを経験してきました。

以前、仮設男の時に指摘した部分にもつながるんですが、
LOAを「法則」と捉えることで、がんじがらめになってしまう場合がある。

「なんで他の人には法則が好都合に作用し、私は不都合として作用しているんだ?
 こんな法則認められるか!」

といった具合です。
法則と言うからには絶対的なものであるはずなのに、人によって作用の仕方が異なる。
これを矛盾や不条理だと感じてしまうわけです。
ところがこういう人は、自分自身の観点とスタンスについて都合良く無視してしまっています。

法則は絶対的で揺るがない。にも関わらず現象化が異なるのは、
その人が望む現象化とは逆の方向に向けて法則を作用させているからです。

仮設男ではこの部分を係数という形で説明しました。
それぞれの内面は異なるから、法則は同じで望む現象化は同じでも、
内面が異なれば係数も異なるはずだ、というのがその主旨でした。

この時の理論を108的に説明すると、次のようになります。

「あなたの内面を変更する必要はない。あなたはあなたのままで良いのだ。
 願望も変更する必要はない。 その願望はその設定のままで良いのだ。
 必要なのはあなたのスタンスを変更することだけだ。

 それは単に「立ち位置」を変更するようなことだ。
 あなたの立つ位置が変われば、影の出来る場所も単純に変わるように、
 あなたは立っている場所を願望実現に適した場所へとちょっと移すだけで良いのだ。

 太陽は誰に対しても同じところからあなた方を照らしている。
 あなたがいくら強く願ったとしても、太陽の照らす方向があなただけに都合良く、
 即座に変更されるようなことはない。

 わざわざ敢えてそんな困難な選択をしなくても、
 あなたがほんのちょっとだけ立つ位置をずらすだけで事足りるのだ」

(つづく)

 

3351 名前: 108★ 投稿日: 2010/11/16(火) 03:03:54 ???0

(つづき)

仮設男のアイデアは、端的に言うと
「ちょびっとだけずらせば上手くいくんじゃない?やってみそ?」という提案です。
自分にとって最適になるように、試しに立ち位置や身体の向きをちょっとずらしてみ?
ということなのです。

ところが「なんだよこの法則!」とお怒りの方は、常に
「どうしたら上手くいくんだ、ちっとも上手くいかないじゃないか」
という立場から法則やメソッドを捉えてしまっています。

これでは「上手くいかない立ち位置」にロックされたままなのです。

この場合、各種メソッドの実行は困難と抵抗を伴います。
望みと逆の結果を得たり、ちっとも成果が出なかったりします。
立ち位置をロックしたまま、内面や法則を変更しようとしているようなことだからです。

内面は変更されることなど望んでいません。だから抵抗を伴います。
法則は変更など出来ません。だから悪戦苦闘するのです。

必要なことは、立ち位置をほんのちょっとずらすだけのことなのです。

それが「上手くいく」という観点から物事を捉えることであり、
ワクワクに従うことであり、楽観的な視点で充足に目を向けるということなのです。

これは内面の変更ではありません。
単に視点、立ち位置をずらすことに過ぎないのです。
このことになんの努力も力も要りません。

視点を変えることにエネルギーは一切用いられないからです。
あなたがそのときエネルギーを使ってヘトヘトになるようなら、やり方を間違っています。
それは立ち位置は変えないで、内面や法則の方を変更しようとしているからなのです。

メソッド自体に何らかの力があるのではありません。
それは視点や立ち位置をずらすための単なるキッカケに過ぎないのです。
視点をずらすことが目的であって、メソッドが目的ではないのです。

上手くいかない人は立ち位置をロックしたままメソッドを実行し、願望の実現を期待します。
この場合、メソッドに何らかの独立したパワーが必要になってくる。
ところが既に述べたように、メソッド自体にはなんのパワーもないのです。
だから「どうして上手くいかないんだ!」という事態を経験する羽目になる。
当然なわけです。

あなたが上手くいきたいのなら、視点や立ち位置のロックを解除することです。
つまり、

「全てのことは、私が思っているのと実際の有様では全然違うかもだぞ」
という興味と関心を持ってみるということです。

全てのことに対して、従来の偏執狂的な視点を解除することです。
これによって、メソッドはトリガーとして機能することが可能になる。
それどころか、ロックが解除されればメソッド自体が不要にさえなります。

あなたがそういった興味と関心を持てば、立ち位置は即座に
適切に修正されようとするからです。
「直結」「なる」もこのメカニズムなのです。

繰り返しますが、これらのことに力は一切用いられません。
むしろ無益に使っている一切の力を抜くことになる。
これが抵抗を止めるということであり、森羅万象と調和するということなのです。

もう一度いいます。力は一切用いられません。
力が用いられていると感じたら、それはやり方を間違っているのです。
それを指針としてください。

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